| 日本・ロシア音楽家協会 | ЯРOM |
| Japan-Russia Society for Musicians | Японо-Российское общество музыкантов |
2024年11月16日に開催された「日本・ロシア音楽家協会創立40周年記念コンサート」に参加させていただきました。当日は「出品者」であると同時に「演奏者」でもありましたので作曲部会会員を代表するのではなく、ここでは極めて個人的な「想い」を語らせていただくことをお許しください。
先ずは、福田陽作曲部会長と弦楽オーケストラのコンサートマスター(ミストレス)であり運営、演奏両面の「要」であった高橋和歌氏に心からの敬意と謝意を表明したいと思います。ご自身の新作発表、重要な演奏も控えている中で私のような(そしておそらく私以外にも多数いたであろうと想像できる)全体の状況が見えていないにもかかわらず好き勝手な発言をする会員を宥め賺し時には脅し(?)ながら軌道に乗せ、見事に成功に導いてくださったのは高潔な人格の成せる業であると言えましょう。また、高橋氏は弦楽オーケストラのメンバーにパート譜を送付される際に、ちょうどプログラムに掲載していただいたこの作品に対する私の「想い」も共有できるようにしてくださり、それは最初のリハーサル時から一音、一音に魂の乗った表現として反映されメンバー一人一人がいかに素晴らしい奏者であるのかを大いに実感させられたものです。そしてリハーサルでは皆様から適切なご質問、ご意見をいただき、効率の良い練習ができました。それにもかかわらずこの壮麗な響きを完璧にまとめ切ったと言い難いところに私の力不足も痛感することとなりました。
さらに、ご自身が優れた作曲家、アーティストであるのにもかかわらず当日は出品、演奏をなさらず「裏方」に徹して会を支えてくださった献身的な会員の存在も忘れることができません。多くの心ある方々に支えられ当日の本番は勿論のこと、そこまでに至る「40年」の歩みの中にプログラムの活字にも載らず拍手を受けることもない謂わば「伴奏」のような役割を粛々と果たしてくださった皆様がいらっしゃらなかったら輝かしい歴史は刻まれることができなかったことでしょう。
「パーシモンホール」でのコンサートはいつも特別な感情に見舞われます。と申しますのは、この会場のある周辺の町(2度ほど引っ越しましたが柿の木坂~八雲町)で実は私は高校時代までを過ごしました。最寄りの東急東横線「都立大学」はこれまでで最も多く利用した駅の一つとなっております。ホールのオープニング時、「パーシモン」という名称が「柿の木坂」からの由来であることは説明を読まずとも容易に想像できました。本番前の時間に母校である八雲小学校、目黒第十中学校にも足を運んでみましたが、校舎は新しくなっていたものの至る所に当時の面影、雰囲気がそのまま残っており懐かしい感覚が蘇ってきました。私がかつて住んでいたボロ家は近代的な住居に生まれ変わっており周辺も当時より洗練された街並みに姿を変えておりましたが、中には昔のままのアパートや、特に旧友の家にはそのまま「同じ表札」が掛かっており、思わず呼び鈴を押したくなる衝動に駆られました。
その住所が以前と変わっていない同級生数名にコンサートの案内を出しましたところ何人かに来ていただくこともでき、中には半世紀ぶりの再会となった悪友もおりました。
現在、教壇に立つ(音楽学校ではありません)立場の身として生徒、学生たちに「楽譜が読めることは義務教育時代に習得しておくのが当然」と偉そうに語っておりますが、当の本人は実は中学1年生の時まで楽譜を読むことができませんでした。幼少のころから英才教育を受けているケースが多いこの業界の中で、私がピアノを習い始めたのがちょうどこの頃です。「楽譜が読めない」とんでもない生徒に忍耐強くご指導くださったピアノの師匠は「ピアノ」のみならずこの音楽の世界に足を踏み入れる原点を構築(この師匠なくして今の私はありません)してくださいましたので、師匠からいただいたあたたかい言葉は何よりの励みとなりました。かなりご高齢のはずなのですが、当時と変わらぬ若々しさ、エネルギッシュさ、パワーに満ち溢れ中学生時代に最初にお目にかかった頃の「輝き」を維持されていることに尊敬の念を新たにいたしました。
高校の所在地はこの近くではなかったのですが、進路面で様々な貴重なアドバイスをいただき就職の面でも大変お世話になった音楽担当の先生は現在もこのパーシモンホールの近くに住んでおられ・・・と言うか、実は我が家はこの先生の「通勤経路」上にあり、高校入学早々、朝、家を出たら目の前をその先生が歩いていらしたことに驚かされたものです。以来、作曲がご専門で数々の美しい歌曲を書かれている先生には音楽の雑談から将来の進路に至るまで親切に相談に乗っていただいたものです。現在、90歳になる健脚の恩師は当日も後方客席から手を振ってくださり、何とも言えない感覚を噛み締めることができました。
このように「パーシモン」とその周辺には「懐かしさ」が満ち溢れており、それは単に記憶の中に仕舞い込まれているのではなくコンサートによって呼び覚まされるものとなっています。「懐かしさ」とは経験と記憶によって齎される最高に美しい精神のハーモニーから生まれると言えましょう。今回のコンサートは日本・ロシア音楽家協会の「40周年」の歩みを振り返り総括するのと同時に、私個人の振り返りでもあり、総括でもありました。
無限に存在する「音」を作曲家の心が掴み取って美しい旋律やハーモニーを構成するのと同じように人間それぞれの存在が「音」のように集合し、歴史を刻み、「調和」を奏でます。当日は日本・ロシア音楽家協会の皆様の美しい心と、これまで私を支えてくださった恩師、友人たちとの最高の「調和」を堪能した至福のひと時でした。
~以上